4月5日の更新情報
記事数が736になりました。
追加項目:李典・王/公
リクエスト対応です。
李典:済陰郡乗氏県の人。従父の李乾が曹操の挙兵に応じて麾下につく。李乾は呂布配下薛蘭・李封に殺され子の李整が後を継いだ(これが張遼との不仲の理由?)。李整死後その兵を預かり活躍する。謙虚マンで儒学にも通じ軍でも称えられた。一族を鄴に移住させ曹操に喜ばれ、破虜将軍に任命された。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月5日
王・公:漢の建国者劉邦は叛乱防止観点で「劉氏以外で王になるものがいたら天下皆でこの者を討て」としており、混乱期以外は守られていたので、曹操の魏公即位は大問題だったはず。王じゃなくて公じゃんと言っても、この公国が前漢初期の王国並みに規模が大きかったので実質王なのだ。その後王になるし
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月5日
4月4日の更新情報
記事数が734になりました。
追加項目:楊震・陳蕃
リクエスト対応です。
楊震:楊修の高祖父。幼い頃から高名だったが招聘を断り続け50歳で漸く州郡に出仕した。後に三公まで登る。賄賂を「四知」という言葉で断ったように清廉な人物。そのため外戚・宦官から疎まれ皇帝からは諫言で嫌われ終に罷免。毒を煽って死ぬ。すると葬式停止命令まで出された。宮城谷三国志に詳しい
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月4日
陳蕃:大儒者。偽の孝で有名な人物の実態を暴くなどで評判だったが、党錮の禁に諫言して罷免される。外戚の竇武がまともなので、組んで政治を行い、宦官や皇帝の乳母の専横がひどいので殺そうとしたら宦官の王甫にばれた。王甫は尚書官属を脅して偽詔を作り禁兵を掌握して陳蕃・竇武を捕え処刑した。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月4日
5000フォローありがとうございます。リクエスト受け付けました。
5000フォローありがとうございます企画といたしまして、リクエスト依頼を受けました項目をいかに列挙いたしました。自分のリクエストが反映されていない! 追加でリクエストしたい! といったことがありましたら、Twitterにリプライをお願いいたします。
なお、作者多忙のためリクエスト対応は遅れることとなると思います。申し訳ありません。
2018/4/1 リクエスト対応完了しました。
**リクエスト対応済み
-名前(字でも諱でも)についてのネタ
-楊震
-陳蕃
-李典
-「王」や「公」について
-武器や馬
-楊阜
-公孫度
-公孫晃
-公孫康
-馬良
-夏侯覇
-華佗
-譙周
-陳祗
-朱儁
-三国志の「終焉」
-司馬昭の嫁
-魏延
-燕
-周泰
-三国志を扱ったゲーム(SEGA コーエー BaseSon 等々)マンガ(横山 蒼天 天地 覇 等々)何か思うところがあれば
-平原王司馬幹
-唐彬
-討大曹の予言
-当時の服や生活
-南蛮や匈奴などの異民族の人物や文化
-王甫
-バカな理由や珍しい理由で勝敗の決した戦い
-袁術の漢の忠臣ぽいエピソード
-馬日磾
-三国志から出た比較的マイナーと思われる故事
-盧植
-張羨
-王濬
-賈南風
-文欽
-文鴦
-程昱人肉事件
-諸葛均
-曹安民
-郭女王
-当時の装飾品
-羊徽瑜
-特に壮絶な最期を遂げた武将のエピソード
-お酒に纏わるお話
-三国志大戦関係
-陣形についての解説
-陳羣
-楽進
-審配
-賈ク
-鍾離牧
-潘夫人(孫権の妻)
-道教思想
-谷利
-何攀
-趙氏貞
-孫堅
-鄧艾
-司馬徽
-太平道や五斗米道、張魯や張角が三国志正史やその周辺の史書でどのように書かれているか
-周浚
-龐統
-当時の水上戦
-公孫サン
-陳到特集
-魏の五将軍と蜀の五虎大将との比較
-漢末と三国それぞれの官職について(三国時代には置いてないとか呉だけに置かれた左丞相とか。またそれぞれの国で役割が違う場合はどう違うか等)や、 それらが現代ではどういった役職に近いのか
-華佗
-聖人イメージがある人物のクズエピソード
-当時の食事について
-歩騭
1月28日の更新情報(記事の訂正)
ご指摘ありがとうございます。ご指摘により2点修正を行いました。
王済:妻が鍾繇の曾孫。呉を叩き潰した王渾の子。外面がいいが趣味は悪口。洛陽の土地が高騰すると購入して仕切で囲い、そこに銭を貯蔵したので「金溝」と呼ばれた。和洽は王済の姉妹の夫だが、うまいスモモが成る木を持っているのにケチで少ししかくれないので若者を嗾けてスモモを食わせ木を伐らせた
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年1月24日
を
王済:妻が鍾繇の曾孫。呉を叩き潰した王渾の子。外面がいいが趣味は悪口。洛陽の土地が高騰すると購入して仕切で囲い、そこに銭を貯蔵したので「金溝」と呼ばれた。和嶠は王済の姉妹の夫だが、うまいスモモが成る木を持っているのにケチで少ししかくれないので若者を嗾けてスモモを食わせ木を伐らせた
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年1月28日
そして
徐庶:右中郎将・御史中丞まで登ったが、諸葛亮には徐庶ほどの男がなぜその程度……魏の人材凄いと言われた。しかしこれは三品官なので前後左右将軍クラスだ。彼の家柄を考えれば大出世だし大体お前昔「徐庶とかは仕官したら州刺史か郡太守くらいにはなれるだろ」って言ったろ。太守も刺史も三品官だろ
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年1月25日
を
徐庶:右中郎将・御史中丞まで登ったが、諸葛亮には徐庶ほどの男がなぜその程度……魏の人材凄いと言われた。しかしこれは四品官でかなりの高位。彼の家柄を考えれば大出世だし大体お前昔「徐庶とかは仕官したら州刺史か郡太守くらいにはなれるだろ」って言ったろ。太守も刺史も五品官で超えてるじゃん
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年1月28日
のように修正しました。
どちらも確認漏れの大ボケです。今後とも誤りありましたらご指摘いただけると大変ありがたいです。
11月15日の更新情報(記事削除)
ご指摘をいただき問題があった以下の記事を削除します(今後同記事は新たに投稿されません)。
呉音:鄭玄をじょうげん、夏候惇のかこうじゅんと読むのが呉音読み。ていげん・かこうとんは漢音読み。現代では中国人名は漢音読みされるのが普通だが、昔から日本で知名度が高い人物は呉音読みされることがある。呉音は漢音より前に日本に入ってきた漢字の読み方。馬→バ(漢音)マ(呉音)という感じ
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2016年10月30日
記事数が724になりました。
正確な情報はご指摘くださいました@Zyengioさんの以下のツイートをご確認ください。
@biased3594 まず呉音と漢音(と慣用音)についてですが,「鄭、玄、夏、侯、惇」はこの様になっています。これをみれば分かります様に,「鄭玄」を「テイゲン」と読むのは漢音と呉音が混ざったものなのです。つまり,ジョウゲンもテイゲンも,玄に関しては呉音で読んでいるわけです。 pic.twitter.com/wthsDO5Awm
— Mag462@韻図伝統 (@Zyengio) 2016年11月8日
@biased3594
— Mag462@韻図伝統 (@Zyengio) 2016年11月8日
次に夏侯惇ですが,今度は逆にカコウジュンもカコウトンも夏侯を漢音で読んでいます。ジュンは慣用音ですが,トンに関しては呉音漢音で違いはありませんので,こちらについては呉音漢音の違いでは全くないわけです。
@biased3594 次に破音字の説明をしますが,上表を見ると夏と惇の行が2つあるのが分かると思います。これらは呉音漢音の様に日本語で読みかたが違うのではなく,そもそも元の中国語の時点で読みかたが複数あったもので,この様な字を破音字や多音字といいます。
— Mag462@韻図伝統 (@Zyengio) 2016年11月8日
@biased3594
— Mag462@韻図伝統 (@Zyengio) 2016年11月8日
呉音漢音というのは単に読みかたが違うだけで意味は同じです。が,破音字については,。英語の現在形と過去形の read の様に,違う言葉を同じ字で書いているだけなので,音が違えば(ほぼ)意味も違います。
(例として破音字の「楽」のガクとラクは違う言葉です)
@biased3594
— Mag462@韻図伝統 (@Zyengio) 2016年11月8日
本題に戻りますが,「夏候惇」は昔の中国語では Ghrá Ghoutun と呼ばれていました。「夏」については日本ですと ghrá と ghrà は同じ音になります(もちろん呉音と漢音では違います)ので問題はないわけです。
@biased3594
— Mag462@韻図伝統 (@Zyengio) 2016年11月8日
しかし「惇」のついては tun と tyn で日本語でも違う音になります。正しくは tun の方ですが,それを知らないで間違えて tyn だと考えてしまうと「カコウジュン」となるわけです。
@biased3594
— Mag462@韻図伝統 (@Zyengio) 2016年11月8日
訂正:Ghrá Ghoutun → Ghrághou Tunhttps://t.co/56mH0tPf8n
その他記事に誤りがございましたらご指摘いただけると大変ありがたいです。
よろしくお願いいたします。