7月30日の更新情報
リクエスト対応です
記事数が759になりました。
追加項目:天地を喰らう(FC・天地を喰らう2(FC・真・横山三国志・蒼天航路・覇-LORD-(リクエスト:三国志を扱ったゲーム(SEGA コーエー BaseSon 等々)マンガ(横山 蒼天 天地 覇 等々)何か思うところがあれば)・王甫
天地を喰らう(FC:RPG。HPの代わりに兵士数があり、魔法の代わりに策略がある。兵士数が減ると攻撃力が下がりどんどんピンチになる。劉備軍が董卓も袁術も袁紹も荊州四人衆も劉璋も張魯も孫権も曹丕も倒すお話(曹操と孫策はわりと同志)。ワンダリング武将を捕えると配下にすることができるぞ
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
天地を喰らう2(FC:RPG。1の曹操はわりと同志だったためなんと赤壁の戦いがないシナリオだった。当作では赤壁の戦いがクローズアップされ一大イベントになっている。でもその後力尽きたのか荊州南部平定戦は横山三国志まんまの展開だったりする。呉の姿が赤壁の戦い以降消えてしまうので悲しい
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
横山三国志:吉川三国志が日本の三国志の源であれば、こちらはそれを大きく広めたと言える。基本的に吉川三国志をなぞるが、横山先生の時代小説の漫画化力が存分に活かされている。掲載誌移籍のタイミングのせいで官渡が流されたのは痛恨。諸葛亮死後も扱い単なる吉川三国志のコミカライズに留まらない
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
蒼天航路:正史準拠とか言われるけど作者王欣太は正史にも著者の修飾が入っていることに違和感があると言っている。ともあれ、連載開始の1994年時点では脱三国志演義であるだけでも特異なことだった。その後連載11年の間に正史を読むことがファンの間で当たり前めいた感じになった世の中もすごい
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
覇-LORD-:これでロードと読む。続編のSOUL覇はソウルロードと読む。関平が趙雲の子とか何か全然違うんだけど全体として見れば三国志の流れから外れていないので首をひねり続ける三国志。しかし覇-LORD-の最後で曹操が献帝の首を刎ねてしまい本当に全然違う三国志として続編は続いた。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
王甫:宦官。分かりやすく君側の奸で、霊帝の治世に竇武や陳蕃とかの名士を弾圧し党錮の禁を招いた。やりたい放題したので自分が触法してでも不正した奴絶対殺すマンである陽球に目を付けられ、彼は司隷校尉になるやいなや王甫と息子王萌を拷問にかけ王萌は拷問途中に殴り殺すし王甫は磔になった。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
7月20日の更新情報
記事数が763になりました。
追加項目:司馬幹(リクエスト:平原王司馬幹)・曹叡(リクエスト:討大曹の予言)・唐彬・西南夷(リクエスト:南蛮や匈奴などの異民族の人物や文化)・匈奴(リクエスト:南蛮や匈奴などの異民族の人物や文化/当時の服や生活)
司馬幹:司馬懿のむすこG(H説もあり)。母は張春華。平原王。八王の乱の八王ではない。西晋宗室が混乱し始めると、甥の司馬冏に「専横して殺された司馬倫のようになるなよ」と婉曲に伝えたが、冏は結局専横して殺された。幹は「冏が一番マシだったのに。もう宗室ダメかも」と嘆き、そうなった。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月20日
曹叡:前漢の頃「魏の年に三千里ほど西方で石が開いて馬五頭が繋がれて『討曹』と書かれている」と予言する者がいた。青龍三年に石の馬等の石像が発見され「上上三天王述大會討大曹金但取之金立中大金馬一疋中正大吉關壽此馬甲寅述水」とあった。曹叡は討大曹が嫌で計大曹、魏への瑞兆に書き換えたが。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月20日
唐彬:鄧艾、鍾会の乱の後、司馬昭は唐彬を蜀に派遣して情報収集させた。唐彬は的確な報告をし歓心を得た。司馬炎の代、益州監軍に欠員が出、候補が唐彬と楊宗だった。文立が「唐彬は強欲、楊宗はアル中。どうする」と言うと司馬炎は「金銭欲満たせば良いので強欲の方がマシ」と言い、唐彬が任命された
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月20日
西南夷:三国志演義だと南蛮と書かれる人たちは正史では西南夷と書かれている。蜀南部から雲南あたりまでに住んでいる民族の総称。蔵(チベット)、傣(タイ)、苗(ミャオ)、冉駹、哀郎、滇、邛、雟、筰とか色々いる。夜郎自大の夜郎があったのもあの辺。交州に繋がるエリアで交易的にうまみがあった
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月20日
匈奴:戦国時代から中国を悩ませる騎馬民族。中国で騎兵が生まれたのは北方騎馬民族の戦い方を真似たためで、騎乗するためのズボン状の服は当時胡服(胡は異民族のこと)と呼ばれて馬鹿にされた。後漢の頃は弱体化していて鮮卑に圧迫され、後漢や魏の下にあり中原に身を寄せ戦争に駆り出されまくってた
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月20日
7月19日の更新情報
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記事数が758になりました。
追加項目:光栄三国志・光栄三国志・真・三國無双・恋姫無双・ナムコ三国志・三国志列伝(リクエスト:三国志を扱ったゲーム(SEGA コーエー BaseSon 等々)マンガ(横山 蒼天 天地 覇 等々)何か思うところがあれば)
光栄三国志:三国志をそれまで知らなかった人にまでアプローチした功績は大! 関連した本(ゲームの内容ほぼ関係ない純粋な三国志本だったりする)をズンドコ光栄が出版してファンの三国志知識を底上げしたのもすごい。今色んな会社が三国志ゲーム出して儲けてるけど地ならししたのは光栄ですよね。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月19日
光栄三国志:信長の野望と並ぶ光栄の二枚看板! だったんだけど、信長の野望がシステムを改良していくのに対し三国志は7→8を除いて毎回システム全とっかえするので蓄積がなく当たり外れが激しい感じになってしまい段々衰退している感じになってる。古参ファンがいまだに5のリメイクばかり待望する
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月19日
真・三國無双:三国志でアクションゲームという発想は、まあカプコンが天地を喰らうでやってたんだけど、あの光栄が3Dアクションゲームで三国志という時点で結構インパクトがあり、無双がジャンル名になるほど質が良かったので三国志ファンの外にも広がって行って光栄はさらに三国志ファンを増やした
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月19日
恋姫無双:三国志の武将を女の子に! という発想は一騎当千が先にやってたんだけど、あの舞台は現代日本だし、女の子の三国志というのは……三国志艶義が先にあったな。まあ、当時のエロゲーはエロさえあれば何やっても良いですという感じだったので、袁紹がインディジョーンズやってる自由なゲーム。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月19日
三国志列伝:セガがメガドライブで出していた三国志ゲー。戦争では部隊の移動が半リアルタイム式で新しい感じがするが、敵部隊を包囲しても実際には一部隊同士で殴り合うのであんまり意味はなかった。アクションバトルの一騎討ちで負けると死に、移動中に兵糧が枯渇すると餓死するワイルドなゲーム。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月19日
7月1日の更新情報
リクエスト対応です
記事数が753になりました。
追加項目:降伏の礼(リクエスト:燕)・燕・周泰・王元姫(リクエスト:司馬昭の嫁)・魏延
降伏の礼:降伏する儀礼があって、きちんとやらないと「マジで降伏する気あんの」みたいな話になる。素車白馬(白い葬式用の馬と馬車)肉袒面縛(上半身裸で後ろ手に縛られる)銜璧牽羊(宝玉を口に含み羊を引いて進物とする)大夫衰服(喪服を着る)がメジャー。肉袒しないので公孫淵は降伏を蹴られた
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月1日
燕:公孫淵は自らを燕王と称した。燕というのは公孫淵の支配エリアの地名で、戦国時代にもあのあたりに燕という国があった。魏とか晋とか呉とか宋とか、国の主君が本拠地にした土地からだいたい国の名前が決まっていく。なので混乱期にたくさん国が乱立すると他の時代で見た国名がたくさん出てくるわけ
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月1日
周泰:幼平という字から末っ子であろう。孫策に仕えるが、孫権は特に頼んで周泰を自分所属にしてもらった。周泰が傷だらけになり孫権を傷だらけになって守ったのはその後のことであり、士は己を知る者のために死すとはこのことだ。関羽討伐後漢中太守に任じられており、孫権は攻め込む意思があった?
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月1日
王元姫:司馬昭の正室。賢く徳義も備え、祖父の王朗は「何で男に生まれなかったんや……」と悔いたという。鍾会について「自分の利益ばっかり見て義を忘れる。揉め事好き。重用すると国が乱れる」とコメントしていたのに司馬昭は相性悪そうな鄧艾と組ませて蜀討伐に赴かせ叛乱された。わざとだろ司馬昭
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月1日
魏延:昔は大謀反人扱いだったが最近は見直され劉備が好き過ぎて諸葛亮とは相性が悪く、楊儀とは同族嫌悪的な何かみたいな扱いが増えてきた。韓玄の下にいて裏切ったというのは演義の創作だし、諸葛亮死後の行動も魏に同調したわけではないし。楊儀が嫌い過ぎただけで、裏切りマン扱いは不当だったね。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月1日
4月26日の更新情報
記事数が748になりました。
リクエスト対応です。
朱儁:揚州の人。その繋がりで孫堅を召し出したりしている。反董卓の一角を担ったが、董卓死後陶謙・孔融・鄭玄らは献帝を迎えようと言っていたのにリカクシ朝廷から召し出されたら応じてしまった。皇甫嵩といい黄巾討伐の驍将はなんか朝廷に夢持ち過ぎと言うか。そしてリカクシの内紛が原因で死ぬ。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月26日
三国志の「終焉」:日本人は諸葛孔明が大好きなので彼が死ぬと終わりにしてしまいがち。日本の三国志の原点吉川三国志がそうだからというのもあろう。でも姜維が活躍する柴錬三国志とか反董卓連合が虎牢関を抜いた時点で終わる「天地を喰らう」「覇王の剣」なんて三国志もあるよ(それは打ち切りだ)
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月26日
4月18日の更新情報
記事数が746になりました。
追加項目:譙周・陳祗
リクエスト対応です。
譙周:陳寿の師匠。蜀の儒者・学者。蜀の地は後漢建国者の光武帝と蜀に割拠し争った公孫述の部下楊春卿が興した讖緯(予言)の学問「蜀学」の本場。劉焉に「益州には天子の気があり」と唆した董扶も蜀学の徒で、譙周もその大家。「他国に寄りて天子と為る者無し」と劉禅に降伏を促し、晋で尊重された。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月18日
陳祗:ちんし。許靖の縁者。費禕に取り立てられ、その死後は姜維の北伐中内政を見た。陳祗の死後、しばらく姜維は北伐ができない状態になるほど。このように北伐容認派だが、一方で黄皓と結託していたともされる。龐統の子龐宏が陳祗を舐めた態度を取るので圧力を掛けて昇進させなかったなんて話も。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月18日
4月14日の更新情報
記事数が744になりました。
追加項目:華佗・譙周
リクエスト対応です。
華佗:後漢書では方術伝に記載がある。方術とは占いや不老不死の技術、医術等の総称。怪しげと言ったら言い過ぎだけど、技術者みたいな感じで、いわゆる士大夫からは下に見られる。華佗はそれが不満で曹操の下から去り、処刑されることになる。陳珪から孝廉に推挙された時に応じておけばよかったのに。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月14日
譙周:蜀の儒者。天文・讖緯(予言)に詳しく、魏の簒奪や司馬昭の死を予言した。初めて諸葛亮と面会し、譙周が退出した後に諸葛亮の部下が笑い出したので、失礼だからそいつを処罰しろと他の部下が言い出したが、諸葛亮は「や、俺も我慢できなかったし」と庇った。寝癖ボサボサとかで面会したのかね?
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月14日