8月19日の更新情報
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追加項目:諸葛均・曹安民・賈南風・郭皇后(リクエスト:郭女王)
諸葛均:瑾・亮の弟。両親が亡くなると亮と共に従父玄を頼った(瑾は継母と共に江南へ逃れた)。玄は袁術派だったので劉繇とバトルになり負け、住民叛乱で死ぬ。その後亮と共に劉表のところへ身を寄せ、亮が劉備に仕えるようになると、均も出仕した。後に蜀で近衛兵を指揮する長水校尉まで出世する。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月19日
曹安民:安民はおそらく字。でも李典が安民という土地に駐屯したという記録があるので、安民の長の曹さんで曹安民かも知れない(豫州刺史劉備→劉豫州ってやつ)曹操の弟の子。父の名は不明。張繍を降伏させた曹操がよせばいいのに張繍の族父張済の未亡人に手を出したので叛乱された時に巻き添えで死ぬ
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月19日
賈南風:賈充の子。司馬炎の息子衷の皇后。残虐で嫉妬深く複数人を殺しているし、妊娠した衷の側室を胎児ごと殺したこともあるという。炎は激怒し離縁させようとしたが周囲の取り成しで許してしまった。許してしまったのかー。炎の死後無事権力闘争をはじめ西晋滅亡の原因八王の乱をスタートさせたぞ!
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月19日
郭皇后:曹丕の皇后の郭氏は字を女王という。家が没落したので召使となっていたが、曹操に見いだされ曹丕の女中になり、賢いので曹丕に気に入られて側室となった。甄氏の死後皇后となる。身を慎み身内への利益誘導をあまり行わなかったという。甄氏の死に関わったという話もあるが信憑性はどうかなあ。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月19日
8月17日の更新情報
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追加項目:文欽・文欽・程昱人肉事件・三国志大戦
文欽:父文稷の功績のため昇進したとか魏諷の反乱に連座させられそうになっても助かるとかいう話がある。気性が荒く礼節を弁えず、上司を馬鹿にして法令を無視するため人望がなかったという。それを曹叡や曹爽が庇うのでさらに付け上がったという。文鴦は可愛げがあるが父の文欽はわかりやすい真正クズ
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月17日
文欽:父の功績と武勇、曹爽の寵愛を笠に増長し、うまく行かなくなると反乱し、息子が力戦して突破口を開こうとして援軍を求めているのに日和って救援せず叛乱失敗して亡命先の呉でも孫峻に気に入られていることを笠に暴戻にふるまって嫌われたとかなんかもうすごい。仲違いで諸葛誕に斬られても残当。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月17日
程昱人肉事件:世説新語によると、曹操軍が食糧難になった際、程昱が略奪を行い食料を確保したが、その中に干し人肉が混じっていたので程昱は悪名を得て三公になれなかったという。でも世説新語は言わば小説だし、信じるのはなあ。やったら曹丕がいじるだろうし、三公就任直前に病死という記録もある。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月17日
三国志大戦:セガが編み出したアーケードゲーム。筐体の上に物理的なカードを配置し、そのカードの動きに合わせてゲーム中の部隊が動くという新しい操作系で人気を博した。それぞれのカードには武将が配され、裏面には豆知識が書かれた。これにより程昱の名前の由来などは三国志トリビアから滑り落ちた
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月17日
8月16日の更新情報
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追加項目:王濬・盧植・盧植・盧植
王濬:呉討伐の際に軍令無視して孫皓を降伏させ王渾と揉め、さらに無断で呉の軍船百余隻を勝手に焼き、功績を誇って暴言を吐いたり不満を口にしたりとまさにやりたい放題で全部許した司馬炎がなんだか心が広く思える。司馬炎は孫皓も無罪放免にしており実際心が広そうだが陳寿はやり過ぎと指摘している
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月16日
盧植:董卓が朝廷を牛耳っていた際董卓にきちんと文句を言うレア人材だったため殺されそうになるが蔡邕らのとりなしで免職だけで済んだ。その後都から脱走し董卓の追手からも逃げ切る。曹操と言い董卓はこんなの多いな。その後幽州で隠居していたが冀州牧となった袁紹に招かれて仕えその直後病死した。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月16日
盧植:黄巾の乱でのエース皇甫嵩・朱儁と肩を並べる存在。張角本軍と対決し大撃破。数万人を斬る功績を立てたが逃げた張角本軍に最後の仕上げと攻め立てていたところ霊帝が派遣した宦官左豊が視察に現れ、盧植は賄賂を渡さなかったので讒言され左遷された。戦後皇甫嵩が盧植を激賞したので尚書へ復帰。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月16日
盧植:竇武に「系図下位の霊帝を立てたのはおかしい」、霊帝に「私利私欲に走るな」、何進に「宦官潰しに董卓を呼んだら制御不能になるぞ」、董卓に「帝の廃立などとんでもない」と進言したが全部無視された。助言無視されマン。あまり知られていないが死の直前袁紹の軍師となっているがそれって……。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月16日
8月15日の更新情報
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追加項目:鮮卑(リクエスト:南蛮や匈奴などの異民族の人物や文化)・烏丸(南蛮や匈奴などの異民族の人物や文化)・張羨・王濬
鮮卑:前漢の頃匈奴に東胡が滅ぼされ、生き残りが逃げ出した。烏桓山に逃れた勢力は烏桓となり、鮮卑山に逃れた勢力は鮮卑となったという。匈奴が弱体化するとこれを圧迫するが、魏の頃は田豫とかボコボコにされて帰順していた。しかし晋代に指導者樹機能が現れ超大暴れする。でも最終的に晋に降伏した
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月15日
烏丸:烏桓とも。前漢の頃匈奴に東胡が滅ぼされ、生き残りが逃げ出し、烏桓山に逃れた勢力を烏丸という。匈奴に従属していたが、懐柔されて後漢に出仕し匈奴や鮮卑への尖兵となった。袁紹が朝廷の命令を偽造して印綬を与え懐柔したので流れで曹操と戦うも降伏し、内地に移住させられて騎兵として活躍。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月15日
張羨:零陵・桂陽・長沙と太守を歴任。人に遜らないので、劉表に嫌われていた。198年に張羨は前述三郡を纏め劉表に戦いを挑む。劉表は兵を差し向けるも張羨を破ることはできなかった。官渡の戦いの時に劉表は何してたの? と言われるが張羨と戦っていた。張羨はその後病死し勢力は劉表に滅ぼされる
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月15日
王濬:呉討伐の益州方面軍指揮官。別方面の指揮官王渾の指揮下に入る筈が無視して先行し孫皓を降伏させたため恨みを買い、危うく晋軍同士の戦いが始まる所だった。王渾が弾劾するも司馬炎が許したので王濬は功績を誇り暴言を吐くようになった。しかし范通に鄧艾みたいになりたいのかと言われて改めた。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月15日
8月12日の更新情報
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追加項目:版橋の戦い(リクエスト:バカな理由や珍しい理由で勝敗の決した戦い)・白波(リクエスト:三国志から出た比較的マイナーと思われる故事)・破竹の勢い(リクエスト:三国志から出た比較的マイナーと思われる故事)・張悌
版橋の戦い:280年伐呉の役中の一戦。呉の虎の子の三万を張悌・孫震・諸葛靚らが率いて沈瑩らと共に晋軍の長江渡河を阻止しようとした。晋の先鋒張喬に奇襲を掛けたら即座に降伏したので張悌は容れた。諸葛靚は偽降だ生き埋めにしろと言うが結局張喬を退路方面にそのままにしてしまった。あとは残当
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月12日
白波:盗賊のこと。歌舞伎で盗賊が主人公のものを白浪物という。黄巾賊残党の、河東郡は白波谷を根城とした盗賊を白波賊といい、それが由来。楊奉・韓暹は白波賊の頭目だったぞ。こんな雑魚っぽいのが他国の言葉として残るとは。河東郡は洛陽の近所だから盗賊代表みたいな感じになって残ったのかしらね
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月12日
破竹の勢い:杜預が呉討伐の際一旦退こうと言われて「竹はある程度割れば後は力要らんから(だから退かん)」って発言から生まれた言葉。なので三国志の小説に破竹って出てくるとンフフってなる。しかし吉川英治三国志でも馬謖が「高キニ拠ッテ低キヲ視ルハ勢イスデニ破竹」と言っているのであった!
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月12日
張悌:悲劇のヒーロー風だがその記述の殆どは例の習鑿歯による襄陽出身者贔屓めいてる。佞臣説あるしね。諸葛靚に貴方の家の丞相に子供の頃見い出され…とか言ったことになってるが恪も瑾も丞相になってないし亮の話ならお前何歳だよみたいな話になってくるし……(『建康実録』では恪が丞相になってる
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月12日
8月10日の更新情報
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記事数が763になりました。
追加項目:王甫・馬日磾・潼関の戦い(リクエスト:バカな理由や珍しい理由で勝敗の決した戦い)・袁術(リクエスト:袁術の漢の忠臣ぽいエピソード)
王甫:霊帝に仕えた宦官。竇武陳蕃のクーデターを察し、曹節と組んで偽勅パワーで制圧した。当然のように一族郎党汚職マンだったので司隷校尉陽球に逮捕され、賊臣王甫と大書されて洛陽の夏城門に磔とされた。なお陽球は曹節も誅しようと考えていたが逆に凶暴な酷吏だと弾劾されて獄死することになる。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月10日
馬日磾:蔡邕が董卓の死を嘆いたため王允に殺されそうになると蔡邕の史書は立派なものになるからと免罪を願うが蹴られた。「史書は国の大事なのに潰して長生きはできない」と発言し、その通りになった。その後袁術の広告塔にされて憤死。なのに孔融に袁術如きに媚びたと批判され国葬の予定を潰された。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月10日
潼関の戦い:この戦いの中で馬超は曹操の背後を衝くチャンスに恵まれたが、丁斐という者が牛馬を戦場の真っただ中に解き放ち突入させた。すると馬超旗下の兵は牛馬を略奪することに気を取られ曹操の追撃どころではなくなり、曹操は逃げ延びることができた。丁斐は横領マンだったが曹操は任用していた。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月10日
袁術:反董卓連合が弛んできた頃、袁紹が「劉虞を皇帝に擁立しよう」と袁術に打診したところ「帝に何の非があるのか!」と大反対した。漢朝の忠臣ムーブ! しかし『呉書』にはこの発言はそもそも漢室の存続そのものに疑問を持っていたためこういう発言になったと勝手に忖度されている。可哀想な袁術。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月10日
7月30日の更新情報
リクエスト対応です
記事数が759になりました。
追加項目:天地を喰らう(FC・天地を喰らう2(FC・真・横山三国志・蒼天航路・覇-LORD-(リクエスト:三国志を扱ったゲーム(SEGA コーエー BaseSon 等々)マンガ(横山 蒼天 天地 覇 等々)何か思うところがあれば)・王甫
天地を喰らう(FC:RPG。HPの代わりに兵士数があり、魔法の代わりに策略がある。兵士数が減ると攻撃力が下がりどんどんピンチになる。劉備軍が董卓も袁術も袁紹も荊州四人衆も劉璋も張魯も孫権も曹丕も倒すお話(曹操と孫策はわりと同志)。ワンダリング武将を捕えると配下にすることができるぞ
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
天地を喰らう2(FC:RPG。1の曹操はわりと同志だったためなんと赤壁の戦いがないシナリオだった。当作では赤壁の戦いがクローズアップされ一大イベントになっている。でもその後力尽きたのか荊州南部平定戦は横山三国志まんまの展開だったりする。呉の姿が赤壁の戦い以降消えてしまうので悲しい
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
横山三国志:吉川三国志が日本の三国志の源であれば、こちらはそれを大きく広めたと言える。基本的に吉川三国志をなぞるが、横山先生の時代小説の漫画化力が存分に活かされている。掲載誌移籍のタイミングのせいで官渡が流されたのは痛恨。諸葛亮死後も扱い単なる吉川三国志のコミカライズに留まらない
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
蒼天航路:正史準拠とか言われるけど作者王欣太は正史にも著者の修飾が入っていることに違和感があると言っている。ともあれ、連載開始の1994年時点では脱三国志演義であるだけでも特異なことだった。その後連載11年の間に正史を読むことがファンの間で当たり前めいた感じになった世の中もすごい
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
覇-LORD-:これでロードと読む。続編のSOUL覇はソウルロードと読む。関平が趙雲の子とか何か全然違うんだけど全体として見れば三国志の流れから外れていないので首をひねり続ける三国志。しかし覇-LORD-の最後で曹操が献帝の首を刎ねてしまい本当に全然違う三国志として続編は続いた。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日
王甫:宦官。分かりやすく君側の奸で、霊帝の治世に竇武や陳蕃とかの名士を弾圧し党錮の禁を招いた。やりたい放題したので自分が触法してでも不正した奴絶対殺すマンである陽球に目を付けられ、彼は司隷校尉になるやいなや王甫と息子王萌を拷問にかけ王萌は拷問途中に殴り殺すし王甫は磔になった。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年7月29日