9月3日の更新情報
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審配:最期に曹操に降らなかったので忠臣扱いされるが強情で他人と融和せず自分に利益誘導して派閥抗争を招いたのでそういう人を忠臣と評するのは如何なものか(彼の死後曹操が財産を没収させたら凄い量だったという)。曹操から城を頑強に守り内通者が出ても一度は破られなかったのはなかなかすごい。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年9月3日
陳羣:梁上の君子という言葉を編み出した陳寔の孫。この時代ちょっとのことで罪人は死刑になっていたので肉刑(身体の一部を切り落としたりする刑)を復活させ、殺人以外に適用すべしと提案したが却下さる。鍾繇だけ賛成した。あの鍾繇だけか…。人道的観点ではなく、人口を減らさないための施策だった
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年9月3日
楽進:元々記録係だったが曹操が募兵を任せたところ千人も集めて来たので将軍に起用された。身体は小柄ながら一番乗りの勇将として名を馳せた。また防衛戦でも結構戦功がある。李典・張遼・于禁と仲が悪かったと記録があるが、結局共闘できているので凌統と甘寧みたいに深刻な問題ではなかったのかも。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年9月3日
賈詡:病気で辞職して帰郷途中、異民族に攫われた。同行者は悉く殺されたが、賈詡は異民族討伐で名を馳せていた段熲の親族と嘘を吐いて脅迫し、解放されている。後に段熲の親戚かもしれない段煨に仕え、才能あり過ぎる所を警戒されていることに気付き脱走した。なお段煨は残された賈詡の家族を礼遇した
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年9月3日