11月26日の更新情報
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追加項目:鄧艾・司馬徽・孫堅・道教思想(太平道や五斗米道、張魯や張角が三国志正史やその周辺の史書でどのように書かれているか)
「太平道や五斗米道、張魯や張角が三国志正史やその周辺の史書でどのように書かれているか」みたいなのはTwitterの140文字では無理ですので、今回の内容でご了承ください。
鄧艾:軍人として有名だが内政でも大貢献している。寿春付近が水不足のため土地が肥沃なのに収穫が上がっていないと見抜き、水運の向上も兼ねて運河を整備せよと司馬懿に説き、『済河論』を著した。司馬懿はこれを良しとして計画を実行、淮南で軍兵を興すことが大いに容易になった。汝南の屯田民出身。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年11月26日
司馬徽:劉表から評価されていなかったし、劉表を評価してもいなかったので仕えなかった。劉表の死後劉琮が曹操に降伏すると、あの人材マニアが放っておくはずもなく曹操に召し出されて仕えた。が割とすぐ死んだ。老人ぽい。でも史書に生年の記録はなく、演義では龐統の5歳年上という設定になっている
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年11月26日
孫堅:『呉書』によると、董卓討伐時、洛陽内の古井戸から伝国璽を拾ったという。でもそれだと孫堅が伝国璽を横領したことになり、孫堅ディスになってしまう。孫家は皇帝になる高貴な血筋ゆえ伝国璽をゲットしたのであるぞよって意図なんだろうけど、呉の人史書の書き方知らんな……という感想になる。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年11月26日
道教思想:道教の教団が歴史上初めてできたのはまさに後漢末と言われ、太平道・五斗米道(天師道)がそれだと言われる。しかし戦国時代後期には道家という老子の思想による学派が存在している。また道教は様々な要素を含んでおり、神仙思想やそこから来た不老長寿に繋がる健康法や儀式とか色々ある。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年11月26日