5月24日の更新情報
孔融:司徒楊賜に招かれ初めて就職。河南尹の何進が大将軍になるので、楊賜は孔融を祝賀に遣わしたが、会えなかったので孔融はキれて名刺を奪い返し「俺が悪いです!」と置手紙を司徒府に残し故郷に帰った。河南尹官属は孔融を殺そうとしたが、何進は却って孔融を招聘した。なお孔融は同僚と揉めて辞職
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) May 24, 2018
孔融:司徒楊賜に招かれたのが初めて官途に就く切っ掛けとなった。その楊賜の子が楊彪。楊彪は曹操に処刑されそうになったことがあるが、孔融が曹操に逆らうのはこの辺の関係かも。なお楊彪の子は楊修。ちなみに王沈『魏書』によると袁紹は曹操に楊能や孔融を処刑するように命令したことがあるという。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) May 24, 2018
孔融:董卓が好き勝手を始めると、孔融は正論をぶつけた。董卓は北海の黄巾がひどいのを見て孔融を北海相に任命した。赴任した孔融は学校を作り鄭玄、彭璆、邴原らを推挙するもそれじゃ勝てないので太史慈とか劉備とかを頼った。劉備は孔融の名声を知っていて感動したというが、藁にも縋るってやつでは
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) May 24, 2018