4月10日の更新情報
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追加項目:公孫度・公孫康
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公孫度:幽州遼東の人。よく勘違いされるが公孫瓚の一族ではない。徐栄と友達だったので董卓から遼東太守に任じられる。度は地元で自家が侮られているのを知っていたので、赴任するなり名族を滅ぼしまくった。董卓死後は辺境のため半独立状態になり、曹操が与えた官職を不満に思い印綬を仕舞い込んだ。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月10日
公孫康:公孫度の子。度の死後遼東太守を引き継ぐ(本来太守は世襲ではない)。烏桓の指導者や袁煕・袁尚兄弟らが逃げてくると、曹操が怖いのでこいつらを殺して首を差し出し、襄平侯に封じられる。長男の晃は康が死んだ時幼少のため弟の恭が継いだが、恭は性・政的不能者だったため康の弟淵に簒奪さる
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年4月10日