8月16日の更新情報
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追加項目:王濬・盧植・盧植・盧植
王濬:呉討伐の際に軍令無視して孫皓を降伏させ王渾と揉め、さらに無断で呉の軍船百余隻を勝手に焼き、功績を誇って暴言を吐いたり不満を口にしたりとまさにやりたい放題で全部許した司馬炎がなんだか心が広く思える。司馬炎は孫皓も無罪放免にしており実際心が広そうだが陳寿はやり過ぎと指摘している
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月16日
盧植:董卓が朝廷を牛耳っていた際董卓にきちんと文句を言うレア人材だったため殺されそうになるが蔡邕らのとりなしで免職だけで済んだ。その後都から脱走し董卓の追手からも逃げ切る。曹操と言い董卓はこんなの多いな。その後幽州で隠居していたが冀州牧となった袁紹に招かれて仕えその直後病死した。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月16日
盧植:黄巾の乱でのエース皇甫嵩・朱儁と肩を並べる存在。張角本軍と対決し大撃破。数万人を斬る功績を立てたが逃げた張角本軍に最後の仕上げと攻め立てていたところ霊帝が派遣した宦官左豊が視察に現れ、盧植は賄賂を渡さなかったので讒言され左遷された。戦後皇甫嵩が盧植を激賞したので尚書へ復帰。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月16日
盧植:竇武に「系図下位の霊帝を立てたのはおかしい」、霊帝に「私利私欲に走るな」、何進に「宦官潰しに董卓を呼んだら制御不能になるぞ」、董卓に「帝の廃立などとんでもない」と進言したが全部無視された。助言無視されマン。あまり知られていないが死の直前袁紹の軍師となっているがそれって……。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月16日