8月10日の更新情報
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追加項目:王甫・馬日磾・潼関の戦い(リクエスト:バカな理由や珍しい理由で勝敗の決した戦い)・袁術(リクエスト:袁術の漢の忠臣ぽいエピソード)
王甫:霊帝に仕えた宦官。竇武陳蕃のクーデターを察し、曹節と組んで偽勅パワーで制圧した。当然のように一族郎党汚職マンだったので司隷校尉陽球に逮捕され、賊臣王甫と大書されて洛陽の夏城門に磔とされた。なお陽球は曹節も誅しようと考えていたが逆に凶暴な酷吏だと弾劾されて獄死することになる。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月10日
馬日磾:蔡邕が董卓の死を嘆いたため王允に殺されそうになると蔡邕の史書は立派なものになるからと免罪を願うが蹴られた。「史書は国の大事なのに潰して長生きはできない」と発言し、その通りになった。その後袁術の広告塔にされて憤死。なのに孔融に袁術如きに媚びたと批判され国葬の予定を潰された。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月10日
潼関の戦い:この戦いの中で馬超は曹操の背後を衝くチャンスに恵まれたが、丁斐という者が牛馬を戦場の真っただ中に解き放ち突入させた。すると馬超旗下の兵は牛馬を略奪することに気を取られ曹操の追撃どころではなくなり、曹操は逃げ延びることができた。丁斐は横領マンだったが曹操は任用していた。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月10日
袁術:反董卓連合が弛んできた頃、袁紹が「劉虞を皇帝に擁立しよう」と袁術に打診したところ「帝に何の非があるのか!」と大反対した。漢朝の忠臣ムーブ! しかし『呉書』にはこの発言はそもそも漢室の存続そのものに疑問を持っていたためこういう発言になったと勝手に忖度されている。可哀想な袁術。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月10日