8月20日の更新情報
リクエスト対応です
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追加項目:羊徽瑜・徐邈(リクエスト:お酒に纏わるお話)・郭泰(リクエスト:当時の装飾品)・典韋(リクエスト:特に壮絶な最期を遂げた武将のエピソード)
羊徽瑜:ようきゆ。羊祜の姉。司馬師の3番目の妻。司馬師は最初の妻を毒殺し、次の妻を離縁している。羊徽瑜は天寿を全うしたが、その間に子供はなかった。聡明で才知に富んだ女性であったといい、羊家の血ですかね。司馬炎が即位すると皇后の位を受けた。あの名将羊祜もコネかーと思うと少しがっかり
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月20日
徐邈:曹操が禁酒令を出したが、アル中なので勤務中も飲んでいたため曹操に詰問され「聖人中毒でした」と答え処刑されそうになった。鮮于輔が「聖人は清酒のことで濁り酒は賢人というアル中ジョークです。酔ってなければ良い人間なので許して」とフォローし免職で済んだ。フォローになってない気がする
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月20日
郭泰:大儒。李膺なんかと親交があり、王允を王佐の才と評価した人物。郭泰が通り雨に遭い、被っていた頭巾の角が折れてしまったが、周囲の人はそれを郭泰によるニューファッションと受けとめ、態々頭巾の角を折るようになった。人望がある郭泰なのでこれが広まり、「折角」の語源となったという説あり
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月20日
典韋:死に様は演義より正史の記述の方が凄いかも。典韋隊は全員が一人で十人を相手にし、典韋が戟を振るうと敵の矛が十数本砕かれ、戟を失った傷だらけの典韋は敵を両脇に挟んで撃殺。最後には突進し数人を殺してから、目を怒らせて口を開け、大声で罵りながら死んだ。その死後も敵は怖くて遠巻きに。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) 2017年8月20日