5月10日の更新情報・2
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孔融:『九州春秋』によると議論や訓戒は立派で読んでいる分には大変良いが実際に実行に移そうとすると無理な感じだったり、突拍子もない議論をする人を重用したりしているうちに袁譚に攻撃されてどうにもならなくなり一人で逃げて家族は捕まったとあり、後漢きってのクソリプマン感がすごい……。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) May 10, 2020
孔融:『続漢書』より。以前より曹操と楊彪の仲が悪かったが、袁術が皇帝を僭称したところ曹操が袁術と縁戚の楊彪を死刑にしようとしたので故事を引いて曹操を必死に諫め自分も魯国の男子(孔子思想の後継者と言いたい?)だからもう参内しないぞと脅して釈放を勝ち取った。これは光のクソリプマン……
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) May 10, 2020
孔融:曹操はついに208年孔融を処刑したが、合わせて布告を出した「孔融は罪に服した。世人は彼の虚名を取り上げ表面的なあでやかさにとらわれて事実を見極める者が少なく彼が風俗を乱していたことを考察しない」というような趣旨の内容で、一定の影響力があり曹操も軽視できなかったことがわかる。
— 偏見で語る三国志bot (@biased3594) May 10, 2020